2015.05.21 カンコードリームプロジェクト 卓球女子日本代表監督 村上 恭和

 

murakami_001.jpg

「自分で目標を見つけ、 計画を立て、実行してみよう」

「ピンポン」が「卓球」に変わった、中学時代の出会い

kantoku_D3S3467.jpg私自身が卓球を始めたのは小学6年生の秋です。広島の向島という島で少年野球をやっていたんですが、6年生は夏の大会が終わると引退してしまう。暇だから体育館で卓球でもやるかと、そんなきっかけでした。靴下に穴が開くほど夢中でやっていましたよ。それで中学では卓球部に入り、2年生の時、尾後勝行さんという選手に出会いました。同じ向島の先輩で、日本大学の卓球部で活躍されていたんですが、ちょうど島に帰ってこられ、中学校の隣の小学校で卓球の練習会を開いておられたんです。手取り足取り指導を受けたわけではなく、ただ一緒に楽しく試合をさせてもらったんですが、この人はすごい!と。それまでの「ピンポン」から「卓球」へと意識が変わりましたね。

卓球を通じて、自分で計画を立てて実行する力がついた

いま思えば、それまでやっていたチームプレーの野球と違って、卓球は「すべて自分で判断できる」。そこが新鮮で面白くて、だから夢中になれたんじゃないかな。あと、部活の顧問の先生はほとんど顔を出すことがなかったので、練習時間も内容も自分たち次第でした。おかげで…というべきか、「自分で計画を立てて実行する力」がついた気がします。また、あれをやれ、これをやれと強制されることがなかったから、「自分は世界で一番卓球が好きだ!」と思いながら続けられたんですね。この小・中学生時代の「自分で考え、楽しく一緒に学ぶ」という経験は、指導者となった今も僕の原点です。

夢に向けて、まずはひとつのことを、とことんやってみよう

僕らの時代はケータイやゲームなんてものはなかったから、逆に恵まれていたと思います。ひとつのことに熱中しやすかった。今は情報も誘惑もありすぎる時代だから、難しいかもしれないけれど…。「夢が見つからない」という中高生の皆さんは、とにかく何かひとつのことを始めて、とことんやってみたらどうだろう。そうしないと、その面白さも、自分がそれに向いているかも知ることができません。そして小さな、現実的な目標から立ててみること。僕は中学時代、まず「島で一番になろう」と考えました。高校では県や中国地方で一番、大学では日本一を目指そうと。日本一は叶いませんでしたが、今は指導者として世界一を目指しています。夢はまだ、続いているんです。

ともに闘う仲間との絆は、一生の財産

ずっとスポーツに関わっていて実感するのは、仲間との絆の素晴らしさ。僕が中学に入学した時は卓球ブームで、1年生が50人くらい卓球部に入部したんですが、夏までラケットも握れずに延々と基礎トレーニングが続き、あまりの厳しさに夏が終わるまでに僕を含めて4人しか残りませんでした。この4人は、ともに苦しい時を乗り越えたかけがえのない仲間として、今もいい付き合いが続いています。また、僕が指導している女子日本代表チームや日本生命のチームでも、福原愛選手をはじめ、誰もが「みんなで力を合わせる団体戦が楽しい」と言いますね。ロンドン五輪団体戦での銀メダルも、みんなで勝ち取ったからあんなに大きなエネルギーが出てきた、あんなに喜べた。仲間との出会い、絆、ぜひ皆さんも大切にしてほしいと思います。

今の夢はリオ五輪でのメダル獲得!

講演会でよく「指導者として大切なことは何ですか」と聞かれるんですが、いつも「相手に合わせたコミュニケーション力」だと答えています。個性も違う、プレースタイルも違う一人ひとりの選手をしっかりと見つめ、それぞれに合わせた対応をすること。そして、意識を同じベクトルに向け、情熱を同じレベルに高めていくこと…。もちろん、今の女子日本代表チームが目指すのは、次のリオ五輪でロンドンに続いてメダルを獲得することです。そのために福原愛選手、石川佳純選手、平野早矢香選手、それぞれに計画を立てて指導しています。皆さんには、個人戦での各選手の活躍はもちろん、団体戦での「総合力」も楽しみにしていただきたいですね。

村上 恭和

むらかみ・やすかず

1957年12月9日生まれ。広島県御調郡向東町(現・尾道市)出身。近畿大学卒業後、]和歌山相互銀行(現・紀陽銀行)に入社し、卓球選手として1983年世界卓球選手権混合ダブルスなどに出場。1990年から現在まで日本生命卓球部監督を務め、就任当初にリーグの8チーム中7位だったチームを6年で日本一へと導く。2008年からは卓球女子日本代表監督も務め、2012年のロンドンオリンピック卓球競技女子団体で日本に銀メダルをもたらした。