KANKO

人づくりインタビュー【Vol.3】
全日本女子ソフトボール シドニー・アテネオリンピック監督 NPO法人 ソフトボール・ドリーム理事長 宇津木 妙子さん

自分を知り、人を生かす―。関係性の中で、人は強くなる。

スポーツを通じて、今の子どもたちに伝えたいこと、そして子どもの能力を引き出すための指導をする先生へのメッセージとは。女子ソフトボール日本代表を率いて初めてオリンピックのメダルを獲得し、現在もソフトボールの世界的な普及に全力を注いでいる、宇津木妙子さんにうかがいました。

「お前の一番を探せ」 忘れぬ恩師の言葉

私の母はとても厳しい人でね。子どもの頃は兄弟の中で、自分が一番ダメな子なんだと思いながら大きくなりました。母に対する反発も大きかったけど、心の中ではいつも「母にほめられたい、認められたい」という気持ちが強かったですね。

ソフトボールは中学1年から始めて、高校1年の時、後の人生に大きな影響を与えてくれた顧問の先生と出会いました。何部に入ろうか迷っていた時、その先生が「人間は同じ親から生まれた兄弟でも一人ひとり個性が違う。ソフトボールでお前の“一番”を探せ。それをチームのために生かしたらいいぞ」って言ってくれてね。その言葉がうれしくて、この先生についていこうと思ったんです。

今でもこの言葉は、私の指導に生きています。人間だから欠点があるのはあたりまえ。その子にしかない“一番”を探しながらいかに愛情をかけて選手を育てていくか。私はエリート選手じゃなかったので、高校時代も実業団時代も、いっぱいつまずいて、葛藤して、失敗して、苦しいことも含めて積み上げてきた経験が今の指導スタイルになっていると思っています。「叱る」「どやす」監督と言われているけど、他の指導者と違うのは、自分を全部さらけだしてきたところ。猛練習の後は、選手とお風呂に入って馬鹿話をしたりね。常に選手と向き合いながら信頼関係を作ってきました。

チームをまとめた実業団時代

「人を生かす」ことを学んだのは、実業団時代の辛い経験があったから。ユニチカに入って、すぐにはスタメンになれなくて落ちこぼれでした。個人練習もさせてもらえず、先輩からの理不尽な言い付けや小間使いばかり。そんな中でついに限界がきて、監督に「こんなチームじゃ勝てないから私にキャプテンやらせてください」って直談判したんですよ。それまで不当に感じていたおかしな慣習をすべて撤廃し、まず自分の道具は自分の責任で管理させるようにしました。それから練習の前は、その日の自分の目標を模造紙に書いてからグラウンドに出ることを日課にしてね。すると、チームが同じ方向を向き始めた。一人ひとりが持っている本来のパワーが引き出されるようになって、それからはどんどん勝てるようになりました。

職場の女子寮の寮母を任されたこともいい経験でした。いろんな複雑な事情を抱えた寮生と関わるようになり、彼女たちとの交流を通じて、人が元気になったり喜んでくれたりするのを感じて、私自身も成長させてもらいました。

その子に合わせてちゃんと叱ってるか?

同じように叱っても、それをバネにできる子もいれば、自分はダメなんだ、見捨てられたと感じる子もいます。だから叱って終わりではなくて、「なぜ?」ということを理解させることがとても重要だと思う。その子に合った言葉掛けはとても大切。時間はかかってもていねいに言葉で伝えることが大切ですね。

エリートの指導者はやたら難しいことを徹底的に教え込もうとするけど、それだと選手は受け身になってしまいます。私は基礎練習を毎日反復するだけ。しっかり基本ができたら、あとは選手自身に考えさせて任せる。コントロールの仕方、自分なりの勝ちパターンや「型」は自分の頭と体でつかむもの。教えて身につくものじゃないんです。

逆に整理整頓、あいさつ、時間厳守、チームメートや周りの人に対する気配り、目配り。これは「どやしながら」叩き込みます。自己中心的なプレーや怠慢プレーも許さない(笑)。選手である以前に「人」としての基本が身についていないとダメなんです。特にソフトボールは「つなぎ」のスポーツだから、犠牲バントで自分を殺さなきゃいけないときもある。一人ひとりの普段の生活態度や行動が、すべて試合でのチームプレーに生きてくるんです。

私は、いろんな逆境を経験しながら紆余曲折でやってきました。そんな自分に、盆栽好きな父が言ってくれたことがあるんです。「まっすぐ一本幹で伸びている樹もかっこいいけど、いろんなところに枝分かれをして立っている樹には味わいがある。人の人生もそうだぞ」って。だから、子どもたちには失敗を恐れず、いろんな経験をしてほしい。指導者の先生には、上手な子を育てるのではなくて、常に自分と向き合える、自分の足で立てる子を育ててほしいと思います。(取材/三ケ田浩二)

うつぎ・たえこ
全日本女子ソフトボール シドニー・アテネオリンピック監督 NPO法人 ソフトボール・ドリーム理事長

1997年に日本代表監督に就任、2000年シドニー五輪銀メダル。2004年アテネ五輪銅メダル。2004年9月、日本代表監督を退任。その功績が讃えられ、日本人初、指導者としてのISF(国際ソフトボール連盟)の殿堂入りを果たした。2011年にNPO法人ソフトボール・ドリームを設立。現在は2020年東京オリンピックへのソフトボール競技の復活活動や、競技の普及に尽力している。国際野球ソフトボール連盟理事、公益財団法人日本ソフトボール協会副会長。